今から約1,300年前、私たちが住むこの土地はどのように記録されていたのでしょうか。

713年(和銅6年)の元明天皇の命(風土記撰進詔/ふどきせんしんのみことのり)により、実に20年の歳月をかけて編纂され733年(天平5年)に『出雲国風土記』は完成・提出されました。
現存する5つの風土記(出雲・播磨・肥前・常陸・豊後)の中で、唯一ほぼ完全な形で残っているこの書物は、古代出雲の姿を今に伝える「奇跡のタイムカプセル」とも言えます。

今回は、その中から『掛合』にゆかりのある「飯石郡(いひしのこおり)」の記述を現代語訳しました。

読み進めていただくと、山や神社の名前が1,300年前から変わらずに残っていることに驚かされるはずです。遥か昔の人々が見ていた景色と、現代の私たちが重なる瞬間。そんな歴史のロマンを感じていただければと思います。

出雲国風土記

飯石郡(いひしのこおり)

合わせて郷(さと)は7 里(こざと)は19ある

熊谷郷(くまたにのさと) 前のままの字を用いる #雲南市三刀屋町の上熊谷・下熊谷および木次町上熊谷・下熊谷のあたり

三屋郷(みとやのさと) もとの字は三刀矢 #雲南市三刀屋町三刀屋・給下・伊萱・殿河内・里坊のあたり

飯石郷(いひしのさと) もとの字は伊鼻志 #雲南市三刀屋町の多久和・中野・神代・六重および吉田町川手のあたり

多禰郷 (たねのさと)もとの字は種 #雲南市三刀屋町の乙加宮・坂本・須所、掛合町多根・松笠・掛合および吉田町吉田のあたり

須佐郷(すさのさと) 前のままの字を用いる #出雲市佐田町反辺・須佐・朝原・原田・大呂および雲南市掛合町穴見・入間のあたり

以上の5郷(さと)は、郷(さと)ごとに里(こざと)が3ずつある

波多郷(はたのさと) 前のままの字を用いる #雲南市掛合町波多および飯石郡飯南町獅子・八神・志津見・角井のあたり

来嶋郷(きじまのさと) もとの字は支自真(きじま) #飯石郡飯南町赤名・来島・佐見・花栗のあたり

以上の2郷(さと)は、郷(さと)ごとに里(こざと)が2ずつある

飯石と名付けられたわけは、飯石郷(いひしのさと)の中に伊毘志都弊命(いびしつべのみこと)が鎮座していらっしゃる。ゆえに、飯石という。

飯石郡

合郷漆里一十九

熊谷郷 今依前用

三屋郷 本字三刀矢

飯石郷 本字伊鼻志

多禰郷 本字種

須佐郷 今依前用

以上伍郷別里参

波多郷 今依前用

来嶋郷 本字支自真

以上貳郷別里貳

所以号飯石者飯石郷中伊毘志都幣命坐故云飯石

熊谷郷(くまたにのさと) 郡家(こおりのみやけ)の東北26里の所にある。古老が伝えて言うには、久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと/奇稲田姫)が、妊娠して出産しようとなされ、生む所をお求めになった。そのときに此処に来られて、「とてもくまくましい(とても奥深い)谷だ」とおっしゃられた。ゆえに、熊谷という。 #1里は540mぐらい

三屋郷(みとやのさと) 郡家(こおりのみやけ)の東北24里の所にある。所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ/ 大国主命)の御門がここにある。ゆえに、三刀矢(みとや)という。 神亀(しんき)三年(726年)に字を三屋と改めた この郷(さと)には、正倉(まさくら)がある。 #和銅6年(713年)に郡郷の名を漢字二字で美しい漢字に改めよとの命令がでた。また正倉(まさくら)とは、税として納められた稲や重要な財物を保管する高床式倉庫のこと。

飯石郷(いひしのさと) 郡家(こおりのみやけ)の正東17里の所にある。伊毘志都弊命(いびしつべのみこと)が天下り鎮座されたところである。ゆえに、伊鼻志(いひし)という。 神亀三年に字を飯石と改めた

多禰郷(たねのさと) 郡家(こおりのみやけ)があるところである。天下を作られた大神である大穴持命(おおなむちのみこと/ 大国主命)と須久奈比古命(すくなひこのみこと)が天下をお巡りになったときに、稲種をここに落とされた。ゆえに、種(たね)という。 神亀三年に字を多禰と改めた #郡家(こおりのみやけ)とは当時の役所。雲南市掛合町掛合の郡(石飛市長の家の後ろ辺り)に在ったと思われる。

須佐郷(すさのさと) 郡家(こおりのみやけ)の正西19里の所にある。神須佐能袁命(かんすさのおのみこと)がおっしゃられたことには、「この国は小さい国だが、国として良いところである。だから私の名前は、木や石にはつけまい。」とおっしゃられて、御自分の御魂をここに鎮め置かれた。そして大須佐田(おおすさだ)・小須佐田(おすさだ)をお定めになった。ゆえに、須佐という。この郷(さと)には正倉(まさくら)がある。

波多郷(はたのさと) 郡家(こおりのみやけ)の西南19里の所にある。波多須美命(はたつみのみこと)が天下り鎮座されたところである。ゆえに、波多という。

来嶋郷(きじまのさと) 郡家(こおりのみやけ)の正南41里の所にある。伎自麻都美命(きじまつみのみこと)が鎮座していらっしゃる。ゆえに、支自真(きじま)という。 神亀三年に字を来嶋と改めた この郷(さと)には正倉(まさくら)がある。

熊谷郷 郡家東北廿六里古老傳云久志伊奈太美等與麻奴良比賣命任身及将産時求處生之爾時到来此處詔甚久々麻々志枳谷在詔也故云熊谷

三屋郷 郡家東北廿四里所造天下大神之御門即在此處故云三刀矢 神亀三年改字三屋 即在正倉

飯石郷 郡家正東一十二里伊毘志都幣命天降坐處故云伊鼻志 神亀三年改字飯石

多禰郷 属郡家所造天下大神大穴持命與須久奈比古命巡行天下時稲種堕此處故云種 神亀三年改字多禰

須佐郷 郡家正西一十九里神須佐能袁命詔此國者雖小國國處在故我御名者非着木石詔而即己命之御魂鎮置給之然即大須佐田小須佐田定給故云須佐即有正倉

波多郷 郡家西南一十九里波多須美命天降坐家有故云波多

来嶋郷 郡家正南卅一里伎自麻都美命坐故云支自真 神亀三年改字来嶋 即有正倉。

須佐社(すさのやしろ)#出雲市佐田町須佐の須佐神社
河邊社(かわべのやしろ#雲南市木次町上熊谷の河邊神社
御門屋社(みとやのやしろ#雲南市三刀屋町給下の三屋神社
多倍社(たべのやしろ#出雲市佐田町反辺の多倍神社
飯石社(いいしのやしろ#雲南市三刀屋町多久和の飯石神社

以上五所はいずれも神祇官社(じんぎかんしゃ)#神祇官が管轄している社

狭長社(さながのやしろ#雲南市掛合町掛合の狭長神社
飯石社(いいしのやしろ#雲南市三刀屋町六重の飯石神社
田中社(たなかのやしろ#雲南市三刀屋古城の田中神社
多加社(たかのやしろ#雲南市吉田村杉戸の杉戸神社。現在は雲南市吉田町吉田の兎比神社に合祀
毛利社(もりのやしろ#雲南市三刀屋町伊葦の井草神社
兎比社(とひのやしろ#雲南市吉田町吉田の兎比神社
日倉社(ひくらのやしろ#雲南市三刀屋町乙加宮の日倉神社。元々、掛合町掛合の日倉山にあったが、戦国時代に多賀氏が日倉城を作るために現在地に移した。現在の日倉神社のある辺りは、中世の資料では「掛合宮内村」として記されている。
井草社(いがやのやしろ#雲南市三刀屋町伊葦の井草神社
深野社(ふかののやしろ#雲南市吉田町深野の深野神社
託和社(たくわのやしろ#雲南市三刀屋町多久和 飯石神社境内 託和神社
上社(うえのやしろ#雲南市吉田町上山の上神社
葦鹿社(あしかのやしろ#雲南市吉田町吉田菅谷の須我谷神社。現在は雲南市吉田町吉田の兎比神社に合祀
粟谷社(あわだにのやしろ#雲南市三刀屋町粟谷の粟谷神社
穴見社(あなみのやしろ#雲南市掛合町穴見の穴見神社
神代社(かむしろのやしろ#雲南市三刀屋町神代の神代神社
志志乃村社(ししのむらのやしろ#飯石郡飯南町八神の志々乃村神社

以上16所はいずれも不在神祇官社#神祇官が管轄していない社

須佐社 河邊社 御門屋社 多倍社 飯石社

以上五所並在神祇官

狭長社 飯石社 田中社 多加社

毛利社 兔比社 日倉社 井草社

深野社 託和社 上社 葦鹿社

粟谷社 穴見社 神代社 志志乃村社

以上一十六所並不在神祇官

焼村山(たきむらのやま)#雲南市掛合町掛合大志戸の山(国道54号線から大志戸に入る所の右手の山)

郡家(こおりのみやけ)の正東1里の所にある。

穴厚山(あなつのやま#雲南市掛合町掛合郡・西側の山(KDDIの基地局付近の山)

郡家(こおりのみやけ)の正南1里の所にある。

笑村山(やむらのやま#雲南市掛合町掛合郡の山(郡砂防ダムの右手の山)

郡家(こおりのみやけ)の正西1里の所にある。

広瀬山(ひろせのやま#雲南市掛合町掛合十日市の山(道の駅「掛合の里」国道54号をはさんで向かいの山)

郡家(こおりのみやけ)の正北1里の所にある。

#上記4つの山は、郡家の四方を囲む結界の山(神名火山/かんなびやま)として名前が挙がっていると思われる。

琴引山(ことびきのやま#飯石郡飯南町頓原の琴引山(弥山)

郡家(こおりのみやけ)の正南35里200歩の所にある。高さは300丈、周りは11里ある。古老が伝えて言うには、この山の峯に窟(洞窟)がある。中に所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の御琴(みこと)がある。長さは7尺、広さは3尺、厚さは1尺5寸ある。また、石神(いしがみ)がある。高さは2丈、周りは4丈ある。だから、琴引山という 塩味葛(えびかづら)がある。 #1歩は1.8mぐらい 1丈は3mぐらい 1尺は0.3mぐらい

石穴山(いわなのやま)#飯石郡飯南町上赤名、井戸谷、広島県三次市の境にある三国山

郡家(こおりのみやけ)の正南58里の所にある。高さは50丈ある。

幡咋山(はたくいのやま#飯石郡飯南町小田と広島県庄原市高野町の境にある山、幡咋峠

郡家(こおりのみやけ)の正南52里の所にある 紫草(むらさき)がある#シコンの事。染料や薬に使われていた。

野見(のみ)、木見(きみ)、石次(いわすき)の山野 #野見は飯南町の呑谷の山、木見は飯南町の木見山、石次は飯南町の神戸川上流域の山

いずれも郡家(こおりのみやけ)の南西40里の所にある 紫草がある

佐比賣山(さひめのやま)#三瓶山

郡家(こおりのみやけ)の正西51里140歩 石見、出雲の2国の堺

掘坂山(ほりさかのやま#出雲市佐田町朝原の東北方にある山

郡家(こおりのみやけ)の正西21里の所にある 杉や松がある

城垣野(きがきのやま#雲南市吉田町民谷宇山の山

郡家(こおりのみやけ)の正南12里の所にある 紫草がある

伊我山(いがのやま#雲南市三刀屋町伊萱と三刀屋給下の間の峰寺弥山

郡家(こおりのみやけ)の正北29里200歩の所にある。

奈倍山(なばいのやま#雲南市三刀屋町乙加宮の禅定寺山

郡家(こおりのみやけ)の東北20里200歩の所にある。

およそ、全ての山野にある草木は、

卑解(ところ)升麻(とりのあしぐさ)当帰(やまぜり)独活(うど)大薊(やまあざみ)黄精(おおえみ)前胡(のぜり)署預(やまついも)白朮(おけら)女委(えみくさ)細辛(みらのねぐさ)白頭公(おきなぐさ)白艿(かがみ)赤箭(かみのやがら)桔梗(ありのひふき)葛根(くずのね)秦皮(とねりこ)杜仲(はいまゆみ)石斛(いわぐすり)藤(ふじ)李(すもも)椙(すぎ)赤桐(あかぎり)椎(しい)楠(くすのき)楊梅(やまもも)槻(つき)柘(つみ)楡(にれ)松(まつ)榧(かえ)蘗(きはだ)楮(かじ)

鳥獣は、

鷹(たか)隼(はやぶさ)山鶏(やまどり)鳩(はと)雉(きじ)熊(くま)狼(おおかみ)猪(いのしし)鹿(しか)兎(うさぎ)獼猴(さる)飛鼯(むささび)

がいる。

焼村山 郡家正東一里

穴厚山 郡家正南一里

笑村山 郡家正西一里

広瀬山 郡家正北一里

琴引山 郡家正南卅五里二百歩高三百丈周一十一里古老傳云此山峯有窟裏所造天下大神之御琴長七尺廣三尺厚一尺五寸又有石神高二丈周四丈故云琴引山 有塩味葛

石穴山 郡家正南五十八里高五十丈

幡咋山 郡家正南五十二里 有紫草

野見・木見・石次・三野並郡家南西四十里 有紫草

佐比賣山 郡家正西五一里一百四十歩 石見與出雲二國堺

堀坂山 郡家正西四十一里 有杉・松

城垣野 郡家正西一十二里 有紫草

伊我山 郡家正北一十九里二百歩

奈倍山 郡家東北廿里二百歩

凡諸山野所在草木、萆薢・升麻・当帰・独活・大薊・黄精・前胡・薯蕷・白朮・女委・細辛・白頭公・白艿・赤箭・桔梗・葛根・秦皮・杜仲・石斛・藤・李・椙・赤桐・椎・楠・楊梅・槻・柘・楡・松・榧・蘗・楮

禽獣、則有鷹・隼・山雞・鳩・雉。熊・狼・猪・鹿・兔・獼猴・飛鼯

三屋川(みとやのかわ)#雲南市の三刀屋川

源は郡家(こおりのみやけ)の正東15里の所にある多加山(たかのやま/大万木山)から出て、北に流れて斐伊川(ひいかわ)に入る 年魚(鮎)がいる

須佐川(すさのかわ#出雲市の須佐川

源は郡家(こおりのみやけ)の正南68里の所にある琴引山(ことびきのやま)から出て、北に流れて、来島(きじま)、波多(はた)、須佐(すさ)などの三郷を経て、神門郡 門立村(とだちむら)に入る。これはいわゆる神門川(かんどのかわ)の上流である 年魚(鮎)がいる

磐鉏川(いわすきのかわ#出雲市の神戸川の上流の川

源は郡家(こおりのみやけ)の西南70里の所にある箭山(ややま/本谷山)から出て、北に流れて須佐川に入る 年魚(鮎)がいる

波多小川(はたのこかわ#雲南市掛合町の波多川

源は郡家(こおりのみやけ)の西南24里の所にある志許斐山(しこいのやま/野田山)から出て、北に流れて須佐川に入る 砂鉄がある

飯石小川(いいしのこかわ#雲南市の飯石川

源は郡家(こおりのみやけ)の正東12里の所にある佐久礼山(さくたのやま/六重雲見の滝の山)から出て、北に流れて三屋川に入る 砂鉄がある

三屋川 源出郡家正東十五里多加山北流入斐伊川 有年魚

須佐川 源於郡家正南六十八里琴引山北流経来嶋・波多・須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門川上也 有年魚

磐鉏川 源於郡家西南七十里箭山北流入須佐河 有年魚

波多小川 源於郡家西南廿四里志許斐山北流入須佐河 有鉄

飯石小川 源於郡家正東一十二里佐久禮山北流入三屋川 有鉄

通道(かよいぢ)

大原郡(おおはらのこおり)の堺の斐伊川(ひいかわ)のほとりに行く道は、29里180歩である。

仁多郡(にたのこおり)の堺の温泉川(ゆかわ)のほとりに行く道は、22里である。

神門郡(かんどのこおり)の堺の与曽紀村(よそきむら)に行く道は、28里60歩である。

同郡の堺の掘坂山(ほりさかのやま)に行く道は、21里である。備後国恵宗郡(びんごのくにえそのこおり)の堺の荒鹿坂(あらかのさか/草峠)に行く道は、39里200歩である 径(みち)に常に剗(関所)がある

三次郡(みよしのこおり)の堺の三坂(みさか/赤名峠)に行く道は、81里である 後に常に剗(関所)がある

波多径(はたのこみち)、須佐径(すさのこみち)、志都美径(しつみのこみち)、以上の三つの径(こみち)には普段は剗(関所)はない。ただし政治的事情があるときに権(仮)に置くのみ。いずれも備後国(びんごのくに)に通じる。

通道

通大原郡堺斐伊河邊二十九里一百八十歩

通仁多郡堺温泉川邊廿二里

通神門郡堺與會紀村廿八里六十歩

通同郡堀坂山廿一里

通備後國恵宗郡堺荒鹿坂卅九里二百歩 徑、常有剗

通備後國三次郡堺三坂八十一里 徑、常有剗

波多々徑・須佐徑・志都美徑以上三徑常无剗但當有政時権置耳並通備後國也。

群司(こおりのつかさ)#郡司とは、郡を治める地方官

主帳 無位 日置首(へおきのおびと)#主帳は、事務担当官のこと

大領 外正八位下勲十二等 大私造(おおきさのみやつこ)#大領は、長官のこと

少領 外従八位上 出雲臣(いずものおみ)#少領は、次官のこと

# 郡司は、大領、少領、主政、主帳の四等官制(しとうかんせい)で構成されていた

郡司

主帳无位 日置首

大領外正八位勲十二等 大弘造

少領外従八位下 出雲臣